映画『Hunger』でアイルランド英語
1980年10月10日、7人のIRA服役囚は次のような声明を発します。
「我々は権利として政治的認知と政治犯的待遇が与えられることを要望する。我々は英国が我々と我々の闘争にレッテルをはろうとしている『政治犯』とう用語に強く反対する」
この声明を期に7人は抗議のためのハンガーストライキを始めますが、失敗に終わります。オブザーバー紙は、その失敗の理由を次のように報じています。
当時アイルランドのカトリック地区の失業率は50%。’80年12月は史上最悪のクリスマスとも言われたそうです。人々は自分たちのことで精一杯でハンスト問題に関心を持つ余裕さえなかったと。
翌年3月1日、ボビー・サンズ(27歳)がハンガー・ストライキ闘争に入ります。彼は仲間と共に乗っていた自動車のトランクにピストルがあったということだけで、14年の禁固刑を言い渡されていました。彼には妻と幼い息子と両親と妹がいました。これはハンストに入る前に彼が両親に向けて書いた手紙です。
今頃はあなた方はこれから起ころうとしていることにとても気を取り乱していることでしょう。わたしはあなた方を心配させたくはないし、これ以上苦痛を与えたくありません。面会の時にわたしがあなた方に語ったことを必ず理解してもらなければなりません。
またハンガー・ストライキに突入しなければならないことを、ここにいる残りの誰もが喜んではいません。我々はそれがどのような結果になるか、また苦しみがすべての家族によって耐えられねばならないことを十分に認識し、理解しています。しかし我々には他の方法がないのです。━━我々はこの行動を続け、この抗議を終わらせるために、考えられる限りの手段を試みました。
英国人は残酷です。━━彼らはよこしまで厚顔無恥です。彼らは問題の解決をはかっているとか、我々がわからずやだとか言ったり、ほのめかしたりして、本当の状況をおおい隠そうとするのです。しかし実際は彼らは単に獄衣の色や型を変えているだけなのです。刑務所の全体制は相い変らず腐りきっているのです。我々は刑の続く間、このHブロックで生きていけます。そして、前例のない非人道的な行為や拷問、そして結果として生じる狂気にも毅然として立ち向かうことができます。或いは、我々が残してきた唯一のもの━━生命をかかて反撃することもできます。我々はたとえそれが死ぬことを意味していても、闘うことを好むでしょう。
(後略)
同年5月5日0時17分、ハンスト開始以来66日目にボビー・サンズは死亡します。映画『Hunger』は、刑務所における人権を考えるのにふさわしい作品のひとつに違いありません。次の動画は、ボビー・サンズがハンストに入ることを神父に伝えるシーンです。アイルランド英語の難しさが味わえる場面でもあります。
▽『Hunger』予告編
俺は仲間と軽く走ってみた
We’re surrounded by fields of barley,
周りは一面 大麦畑だ
and we dip down into a wee valley where there’s a stream and woods running through it.
畑は谷へ下り 川や森があった。
The woods and stream are out of bounds,
谷はコース外だったから皆でこっそり下った
so naturally, us Belfast boys have to go check them out. Woods and the stream seem just like the Amazon to us.
まさに冒険気分だった
And we come across these young fellas from Cork,
谷にコーク県の少年も
and there’s some banter about our accents,
アクセントが違うから
they could barely talk, we couldn’t understand a word they were saying.
言葉が通じなくてな
We had the idea that they’re lording it over us a bit, you know, looking down on us.
でも俺たちをバカにしているのは感じ取れた
(*)参考文献
IRA(アイルランド共和国軍)-アイルランドのナショナリズム