福本光一郎(創業者)略歴
生年月日 大正15年2月16日 出生地 台東区稲荷町
・昭和16年 日立入社、 ・昭和21年 退社
日立退社理由、画家志望のため。 退社後、父親より勘当される。日立入社時に世話になった日立の重役と父親に、骨を日立に埋めるとの約束をしたが、それを反古にしたため、明治生まれの父親の逆鱗にふれ勘当となり、住むところを失う。
友人の紹介により画家の書生(内弟子)となり住みこみ、畠仕事、子供の面倒、染色工芸(沖縄紅型染め)の手伝い。その代わりに絵を描く時間を4時間もらう。食事と寝場所(屋根裏)は無料。給料はなし。
・昭和23年頃
父、急死。家に帰る事を母に許されるも、当時は就職難で仕事なし。駐留軍(米軍)の夜警となり、以後駐留軍関係のキャッシャー(夜間)、ボーイ、ドライバー等をする。その後、自分の絵の才能に見切りをつけ、画家志望は捨て、絵は趣味のみにする。
・昭和30年頃
小売業、江戸屋を初め、2年後位に小さなスーパーにし、2店目は千葉県流山市江戸川台に開業。読売新聞で取り上げられたため業界で少し有名になる。
友人が米国より帰国し、トレーディングスタンプ(ブルーチップ)を始めるので参加し、本業スーパーは若い人達にまかせる。以後、約6年間近く、日曜日だけ帰宅する家族との別居生活。
・昭和42年頃
ブルーチップ、トップと意見が合わず退社。間もなく江戸屋も廃業。
頭を冷やすため3ヶ月程渡米。帰国後、英語を習いたい日本人と教えたい英米人を結ぶ仕事を発案。最初は電話で教えることからイングリッシュテレホンクラブと命名し創業。翌年「まじめな方外国人家庭で英会話教えます。」のキャッチフレーズで現在の講師宅マンツーマンレッスンの形態へ変更。その後テレクラという業種が出現して間違えられるのがいやで社名をETCと変更。現在に到る。