その六: 意思疎通の難しさ
英語を話せる事と、外国人(おもに英語を話す人)に理解されることは別だ、ということについて話してみます。
皆さんご承知のように、英語は世界の多くの人が話すので共通語として有用な言語です。かの大英帝国が世界中を植民地にして押し付けた言葉として歴史的には問題がないわけでもありません。公用語(※)に英語だけを指定して英語を話さない国の人にまで無理に使わせるのには、公平性から見て問題があるとは思います。しかし、事実言語の違う人々の間での意思の疎通には、皆さんがご承知の様に大変役に立っています。世界の使用言語の人口比でいえば、中国語を話す人が数の上では最も多いそうですが、ビジネスの世界では圧倒的に英語がすでに世界共通語となってしまっています。
でも、英語を話せるだけでは充分ではありません。
話す相手夫々の国の背景にある文化、習慣、しきたり等を知らないと、こちらの思いと違う受け取り方をされて、却って不和を生じる事にもなります。特に、国家間の話し合いになると、何時までも尾を引く様にもなります。
私が30年以上前から何時も気になり、之ははっきりさせないと問題になる、と感じていた言葉があります。それは 「I thinkit over.」(よく考慮します)と言う言葉です。
日本人はこの言葉を、相手からの提案や要請に対して断りにくい時に逃げ口上として使う場合が多いので、その時点で既に行き違いが内在しています。よって、この言葉を使う時には、相手方の提案に対してその主旨に添えるような時以外は使わない方が相手方に対しても親切です。この言葉自体には、法律的に相手から拘束される意味合いは含まれませんが、同時に相手から不信感を持たれないという保証も一切ありません。
アメリカのある世論調査で、日本人に対する不信感の大半は、この様に自分の意思を正確に表現しない所に因るものが多いと聞いたことがあります。なるべくはっきりさせずに、なあなあですませようとする文化は、はっきり言って理解されるどころかおかしいと思われるのが、欧米人の一般的な受けとめ方でしょう。
言語学者ではないので詳しくはわかりませんが、定住農耕民族の日本語には、「物事を曖昧にし争わない方向でやり過ごしていく知恵」などが、また逆に、英語には、言葉自体に「白黒違いをはっきりさせる為の手段」としてのDNAでも組み込まれているのでしょうか?主語を話さずに通じる日本語、「I(私)」は文章のどこでも大文字の英語、そんな違いを感じます。
いずれにせよ、言葉の持つ文化が違うのですから、英語を話して理解してもらうには、その背景の文化も吸収しなくては理解できないことになるわけです。
日本人は、はっきり「No」ということが「相手に悪い」と思っている人が多いと思いますが、実はそうではありません。はっきりしないことのほうが誤解を生み悪いのです。英語の勉強を始める前に、まず「No」という練習だけしてみてもいいくらいです。
最近の学生、若者の国語力の低下には、政治家のその場しのぎの国語の解釈やコジ付けが大いに影響があると思います。国会に於ける政治家の答弁を聞くたびに、これが日本をリードしている者の言葉かと泣けてきます。はっきりさせない、うやむやな表現でわかりにくくする。そんな言葉を使うことを国民が許しているうちは、いつまでたっても外国から尊敬される国にはなれないのではないか思ってしまいます。
みなさんも英語を勉強されると同時に、ぜひ「はっきりした意思表示をする習慣」、また自分が言うだけでなく、「相手の意思表示を、意見として受け入れる習慣」もぜひ学んでください。
おしまいに、如何に人間の間の意思の疎通が難しいかという例に、私の15年前の一句、
三十五年共に暮らせし吾が妻は
「別れましょう」と突然に言う
之を私の俳句の師でもある友人に示すと、「これは名句ですよ」と言ってくれました。私は、今年結婚50年目で金婚式の年です。つまり、私はそれ以後15年間、忍耐と努力の日々を送っているというわけです。
妻に言わせると、「私はそれより長く、50年も我慢してるのよ」となるわけですが・・・。
それでは今日はこのへんで。
株式会社イーティーシー
代表取締役会長 福本光一郎
TEL (03) 3924-3853
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参考 (※)現在の国連の公用語は英語、フランス語、スペイン語、
ロシア語、アラビア語、中国語です。残念ながら、エスペラント
語などの人造国際語は入っていません。(わたしも知識はないで
すが)エスペラント語、日本エスペラント学会
http://www.jei.or.jp
その他人工言語に関して
http://dos.crashjah.com/
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