映画『Bloody Sunday』(ブラディ・サンデー)でアイルランド英語
1972年1月30日、北アイルランドのデリー市で起こった「流血の日曜日」を扱った映画です。
当時、北アイルランドのカトリックの人々は、英国政府から様々な差別的な政策に苦しんでいました。公営住宅権の不平等な割り当てと選挙権、そしてインターンメント(裁判なき拘禁制度)の導入など。
インターメントには裁判がありません。ということは拘禁理由が公にされないため、いつまで監禁されるのかわず、無期限に監禁される可能性もありました。それは、憲法も基本的人権も一切無視した、世にも恐ろしい法律でした。令状なしの家宅捜査、集会の禁止なども治安当局の意のままでした。
このような不平等に抗議するデモも当時は禁じられていました。しかし、その禁止令にもかかわらずデリーで72年1月30日の日曜日に、公民権グループが反インターメントの行進を呼びかけたのです。英軍はその行進をカトリックの居住区に封じこめ、さらにカトリック住民の大量逮捕に踏みきる計画をもって待ちかまえていました。
行進は英軍に阻止され前へ進めず、途中から若者の投石などによって、暴動となりました。英軍はCSガス、ゴム弾、放水車などで応戦しました。その時、英軍は、突然、なんの警告もなしに、群集めがけて発砲しはじめました。発砲は30分間ほど続き、13人の民衆が死に、16人が負傷しました。最初の英軍の説明は、発砲はIRAの銃撃に応じた自衛的なものという見解でしたが、IRAの銃撃を見た者も、銃声を聞いた者も誰一人としていませんでした。それに英兵は誰も撃たれていませんでした。
射殺された者は若者が多く(7人が10代)、彼らはIRAのガンマンでも兵士でもありませんでした。それは1916年のイースター蜂起直後の16人の処刑と同じような衝撃をアイルランド国民に与えたそうです。
この事件の発生から四半世紀経った1998年に、ブレア政権下で新たに事件の調査が開始されることになりました。この調査では兵士610人、一般市民729人、報道関係者30人、政府関係者や政治家、軍上層部ら20人、北アイルランド警察の警察官53人に聞き取りが行なわれた。
その調書はこちらで読むことができます。
‘Bloody Sunday’, Derry 30 January 1972
– Guide to the Hearings of The Bloody Sunday Inquiry (1998-2005)
そしてこの調査がこの映画を生むことに繋がっています。30年以上たって少しずつ明らかになる嘘と真実。政府が秘密としていた情報が公開されることの大切さを、この悲惨な事件から学ぶことができます。
(*)参考リンク
Bloody Sunday(BBC)
(*)参考文献
IRA(アイルランド共和国軍)-アイルランドのナショナリズム