映画『The Curious Case of Benjamin Button(ベンジャミン・バトン 数奇な人生)』で南部アメリカ英語マンツーマンレッスン
懐かしい友と再会しました。着実に歳を重ねたその姿は、通り過ぎた時間の中で同じように変化した自分自身の姿を映し出す鏡になるのかもしれません。そして、「永遠に変わらないものなど存在しない」ことを悟ることは、老いを自然なこととして受け入れる心の柔らかさを生み出してくれるのでしょう。
ところが、もしその友人が自分とは逆にどんどんと若返ってしまったら。その姿は老いた自分の身体を際立たせる逆光のライトのように、眩しく悩ましい存在になってしまうかもしれません。
映画『The Curious Case of Benjamin Button(ベンジャミン・バトン 数奇な人生)』は、80歳の肉体を持って生まれ、成長するごとに若返って行くベンジャミン・バトンとそれを取り巻く人々を描いています。原作はスコット・フィッツジェラルドの同名の小説。原作の舞台はアメリカ北部のメリーランド州バルチモアですが、映画では南部のルイジアナ州ニューオーリンズにベンジャミンは生まれます。
ベンジャミンを演じるブラッド・ピットも、しっかりと南部訛りで演じています。
たとえば、南部アメリカ英語の特徴として、-ing 等で終わる単語の最後の g を発音しない(g-dropping)傾向があります。ニューヨークでバレリーナとして活躍している幼馴染のデイジーに、ベンジャミンが会いに行ったシーンで、彼女のボーイフレンドのデイヴィッドに次のように声をかけられます。 デイビッドが something をしっかりと発音をしているのに対して、ベンジャミンは鼻に抜けるような声で”サムシン”とg音を発音していないことがよくわかります。
– So, you were a friend of her grandmother’s? Or something like that?
(デイジーのおばあさんの知り合いだって。そんな感じだよね?)
Benjamin:
– Somethin’ like that.
(まあ、そんなとこだ。)
▽ルイジアナ州
映画は167分と長編なのに対して、原作は60頁足らず。肉体と精神の乖離という原作のテーマを深く掘り下げた映画ですが、監督のデヴィッド・フィンチャー氏が映画の解説でこう語っているのが印象的です。
「ベンジャミンが成長して小さな老人になる。そこまでは別に重要じゃない。注目すべきはベンジャミンの気持ちだ。11歳の体に閉じ込められた経験豊かな老人の気持ちなんだ。それを想像できる人は映画をとってほしい。映画ができ上がったら私は喜んで見にいくよ」
もしかしたら、「幼い肉体に閉じ込められた老人の魂」を、監督は映画で描こうとして、描ききれなかったのかもしれません。映画ではベンジャミンの最期を腕の中で看取ったデイジーの言葉で表現していますが、原作ではベンジャミンの言葉でその魂を語っています。
The past – (略) had faded like unsubstantial dreams from his mind as though they had never been. He did not remember. (中略)
Then it was all dark, and his white crib and the dim faces that moved above him, and the warm sweet aroma of the milk, faded out altogether from his mind.
(過去か – それらすべては、もとから存在していかなったかのように、もろい夢のごとく彼の頭の中から消えていった。
やがて真っ暗になり、白いベッドも、頭上で動いていたぼんやりとした大人たちの顔も、ミルクの温かく甘い香りも、すべてが闇のなかへと遠のいていった。)
人の最期はこんな感じなのだろうかと想像してみたくなる文章でもあります。気に入った映画は、その原作(翻訳本と原書)も読んでみてはいかがでしょう。映画同様どんどんと引き込まれて、深い英語体験ができるかもしれません。
▽The Curious Case Of Benjamin Button – Official Trailer
(※)参照
『ベンジャミン・バトン 数奇な人生』
(フィッツジェラルド 永山篤一 訳)