マンツーマン英会話ワンポイント・レッスン~日本人に初めて英語を教えたネイティブ・スピーカーは誰?

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 チャールズ先生(横浜・大坂上)先生も主催者の一員だったバーンズ・サパーで次のようなクイズが出題されていました。

 Who was the first man to teach English in Japan? He was a Scots man.
 (日本で最初に英語を教えた男性は誰?彼はスコットランド人です。)

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Ranald MacDonald

 ラナルド・マクドナルド(Ranald MacDonald、 1824年2月3日 – 1894年8月5日)という人です。

 彼の父アーチボルト・マクドナルドはスコットランド生まれ。毛皮の交易事業を行うハドソン湾会社の社員。ネイティブ・インディアンから毛皮を買い集め、銃、刃物類の鉄製品と交換していました。母はインディア部族であるチヌーク族の大酋長コム・コムリの次女コアール・クソアでした。

 ラナルドが15歳のとき、父の友人が勤めていた銀行に見習いとして就職。しかしそこで白人社会の厚い壁を感じ退社。17歳の秋に船乗りになること決め、そこに自分自身の活躍の場を見出そうとします。しかし、積荷略奪と奴隷密貿易を目的とした船にあいついで乗り組んだ彼は、船に対する憧れも失います。

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Ranald MacDonald ETCマンツーマン英会話 一方、船乗りになって以来、日本という東洋の神秘的な島国に強い憧れを抱くようになります。インディアンの先祖がアジアからアラスカをへてアメリカ大陸にやってきたという伝説があることを耳にしたことも彼の興味をそそりました。

 当時日本は鎖国状態にありました。多大な利益をもたらすであろう西欧人との交易をかたくなに拒み続けている日本人は、精神生活を至上のものとしており、ネイティブ・アメリカンの血をひく自分を差別することなく温かく迎えてくれる人種に間違いないと、思うようになります。

 日本に行きたいという彼の思いは具体的な形をとるようになります。いずれ日本が開国した際には、お互いの言葉が理解できる必要性が生まれるだろうと考えました。

 「自分が日本へ行くのは、かれらがどのような言葉を口にし、文字を使っているかを知るためだ。まず日本語をおぼえ、それによって、有能な日本人に英語を教え、同時に国際的な知識もあたえる。日本の為政者が、自分を得がたい英語の教師としてみとめてくれるとしたら、開国にはなくてはならない外交顧問として遇してくれるにちがいない。」(『海の祭礼』より)

 日本近海に向かう捕鯨船に乗込んだルナルドは、日本まで約5マイル(約8km)の位置で船長よりボートを譲り受け、1848年6月27日単身利尻島に上陸します。ルナルドは24歳でした。

 日本滞在中、ルナルドは違法入国者としての扱いは変わることはありませんでしたが、彼の日本語やその風習を学ぼうとする姿勢や、人懐っこい性格に好感が持たれました。また、英語を習得する必要性の高まりも相まって、ルナルドの座敷牢での英会話レッスンが始まります。

 レッスンの進行役は森山栄之助というオランダ語の通訳。オランダ人を通して英語を学んでいましたが、実践では到底使い物にならないことを痛感していました。

 吉村昭の著作、『海の祭礼』の中に、そのレッスンの様子が書かれています。

 未知の異国語をおぼえるには、最も身近な物からはじめるべきで、範囲を徐々にひろげてゆくべきだ、と言った。(中略)たとえば手という単語の発音をおぼえる場合、マクドナルドに手に相当する英語を紙に書いてもらい、それを森山が一同にしめし習うのが好ましい。そのためには、森山が座敷牢に入り、マクドナルドに書かせた紙を格子ごしに通詞たちにしめす必要があった。

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 「それでは、早速、稽古に入ります」
  森山は、植村に一礼し、マクドナルドに顔を向けると、自分の頭をさし、
 「ワット(What)? 何?」
  と言った。(中略)
  マクドナルドは、即座に、
 「アダマ」
  と、言って、片目をつぶった。
  森山は、頬をゆるめた。マクドナルドの日本語を書きとめた紙には、Head‐‐‐‐Adamaと記されていて、かれがそれを得意に思っているのを感じた。
  森山は、通詞たちに顔をむけ、
 「この異国人は、頭という日本語を知っております」
  と、言った。
  通詞たちは、感嘆したようにうなずき、かすかに笑みをうかべる者もいた。
  森山は、マクドナルドに Head と紙に書くよう求めた。マクドナルドは、羽ペンを走らせた。

  森山は、それを手にして牢格子の外にみせ、マクドナルドに発音するよううながした。うなずいたマクドナルドが口をひらいたが、それは森山が信じていた発音とは異なっていた。かれの得ている英会話の知識は、「諳厄利亜語林大成(あんげりあごりんたいせい)」が基本になっていて、それにオランダ商館長レフィソンから教えられたものが加えられている。「諳厄利亜語林大成」には、Headの発音がヘートと記されているが、マクドナルドの口からもれた言葉は、ヘッ、としかきこえない。最初の単語から、発音が自分の信じていたものとちがっていることに衝撃をうけた。

森山栄之助 ETCマンツーマン英会話 一年後に、マクドナルドはアメリカに向け出国。4年後の1853年に黒船が来航し、森山栄之助は英語の通訳として活躍することになります。

 日本に憧れを抱く外国人の思いや、外国語を教える際のモチベーション、また、全くの初心者に英語を教えるレッスンでの創意工夫など、現代にも通じる事柄が多くあり、たいへん興味深いです。

 
 (※)参考図書
 『海の祭礼』(吉村昭 著)

 
 

 

 
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