映画『Hotel Rwanda』(ホテルルワンダ)でアフリカ英語

rwanda 1994年のルワンダでの虐殺は、フツ族とツチ族という民族間の憎しみが原因で起こったといわれています。そもそもこの二つの民族の違いはどのようなものなのでしょうか。この民族が生まれた歴史は。そこには西側諸国の都合のみを優先したこんな背景がありました。

 映画『Hotel Rwanda』に、次のような会話があります。西側から取材に来たテレビのカメラマンに、ルワンダのジャーナリストが説明しています。

Jack Daglish
So, what is the actual difference between Hutu and Tutsi?
フツ族とツチ族はどう違うんだい?

Benedict
According to the Belgian colonists, the Tutsis are taller and more elegant.
ベルギーの入植者による定義では、ツチ族の方が長身で上品

It was the Belgians that created the division.
ベルギー入が決めた

Jack Daglish

How?
どうやって?

Benedict
They picked people those with thinner noses, lighter skin.
鼻の細さや皮膚の色の薄さでね

They used to measure the width of people’s noses.
鼻の幅を測ったんだ

The Belgians used the Tutsis to run the country.
ツチ族に統治させたが、退去後権力はフツ族に。

Then when they left, they left the power to the Hutus and of course the Hutus took revenge on the elite Tutsis for years of repression.
フツ族は長年の恨みで、ツチ族に復習した。

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ルワンダ共和国

ルワンダ共和国

 1885年、ビスマルクが主催した列強によるアフリカ分割に関するベルリン会議が開かれます。その後の60年近く続くアフリカに対する植民地政策がここで決定されます。オーストラリア=ハンガリー帝国、デンマーク、フランス、イギリス、スペイン、アメリカ、ポルトガル、オランダ、スウェーデン、ノルウェーの代表が参加。ルワンダの宗主国はドイツでした。しかし、海から遠く天然資源も乏しい領地にドイツは無関心で、第一次大戦で敗戦するとルワンダはベルギーに戦利品として引き渡されます。

 ベルギー人は労力を最小限に抑え、最大の利益を上げようとします。ルワンダの指導者層(ツチ)と農場労働者層(フツ)の間にある社会的亀裂に着目し、ツチ族を代理人として使って当地を行うという楽な方法を思いつきます。「分割させて征服する」という方法です。

 そこからすべてが狂いはじめた。小さな巻尺を携えたベルギー人の科学者たちがルワンダに送り込まれ、典型的なツチ族の鼻はフツ族より最低でも2.5ミリ高いと決め付けた。(略)
 1933年、ルワンダの全国民は自分の属する民族を明記した”登録証”と呼ばれる身分証明書を受け取った。この身分証明書は数十年後には事実上の死刑執行令状となった。(略)行政に関わる役職の大半がツチで占められた。(略)
 ツチ優位主義は学校でも教え込まれ、教会で説かれ、ルワンダ人の日常生活の中で目に見えぬ様々な方法で確立されていった。ツチの人間は自分たちは上流階級に属し、外見的にも魅力的であるとくり返し言い聞かされた。一方フツの人間は醜く無知で農作業をするしか能がないといい聞かされた。(略)
 その恨みは、のちにひ孫たちが頭を切り落とす相手を探す後押しをすることになった。

          『ホテルルワンダの男』(ポール・ルセサバギナ著)より

 人々を分断し、差別し、そのことを教育で刷り込み、憎悪を掻き立て、その感情を権力者が利用する。これは、アフリカのある小さな国の出来事で、私たちとは無関係なことだとは放置すことはできません。ルアンダからたくさん事柄を学べるような気がします。




 
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