ドキュメンタリー『Nelson Mandela: One Incredible Life』でアフリカ英語

b00sfpts Lenora Crichlow(レノラ・クリクロウ)は、イギリス生まれ、ウエスト・ロンドン育ちの女優。ネルソン・マンデラに特別な思いを抱いていました。それは黒人である彼の父が、ここイギリスで黒人の人権保護を訴える活動家でもあったからです。

 2010年、レノラはサッカーのワールドカップで湧く南アフリカをレノラは訪ねます。南アフリカの人々にとって、ネルソン・マンデラとはどのような存在なのか、様々な人々にインタビューを行い南アの町を旅してゆきます。

 興味深いのは、黒人も白人も皆ことなったアクセントの英語を話していること。人種的な背景に加えて、それぞれが育った環境、受けた教育などで、このようなことが起こるのでしょう。「英語は一つではない」とういことを体験するには、南アフリカは最も適した国なのかもしれません。

 アパルトヘイト時代は白人のスポーツと言われていたラグビーをプレーする黒人の人々。1995年南アで行われたラグビーワールドカップのニュージーランドとの決勝、第二ピリオドのエクストラタイムでドロップ・ゴールを決めたJoel Stransky(ジョエル・セオドア・ストランスキー)、ネルソン・マンデラが20年近く収監されていたロベン島の政治犯強制収容所、そこに6年5ヶ月同じように収監されていたDede(ディーディ)、ネルソン・マンデラの孫のNdaba(ンダーバー)、AIDSで親を亡くした子供たちの孤児院、犯罪が多発すると言われる町アレクサンドラ、1960年3月21日に大虐殺が行われた町Sharpeville(シャープビル)と当時のことを知る被害者たち、オートセキュリティーの住居で暮らし、再び黒人との隔離を望む富裕層のアフリカーンス(オランダ系白人)、そして、アパルトヘイト時代は禁じられていた黒人と白人の結婚をした夫婦。ネルソン・マンデラに様々な思いを抱く、異なった立場の人々のインタビューから、南アの過去と現在の姿を浮かび上がらせてゆきます。

 1994年ネルソン・マンデラが大統領になり、アパルトヘイトは撤廃されました。果たして、黒人の人々の生活は改善されたのでしょうか。1960年のシャープビル大虐殺を経験した女性は次のように語っています。

When Mandela came to power we thought it will have some meaning to us.
マンデラが力をもったとき、私たちになにか意味のあることがもたらされると思っていました。

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I am still angry even now because what benefit did we get? Nothing.
今でも私は怒っています。私たちがどんな利益をえたのでしょうか?何もありません。

Even now I’m still like this. I don’t have a job, we are just nothing.
今でさえこんな状況です。仕事もありません。私たちは何の価値もない存在です。

To our surprise the perpetrators were given amnesty.
驚いたことに、犯罪者達には恩赦が与えられました。

Then Mandela he just said make peace.
そして、マンデラは「平和に」と言っただけ。

Just for his own sake because he was the President.
それは大統領だった彼のためでしかありません。




 番組が撮影された当時(2010年)、4人に1人が失業中で、黒人の半分が一日3ポンド(約505円)未満しか稼ぐことができないとのこと。年に18000人が殺害。さらにエイズで数百万人が亡くなり、150万人の子供たちが孤児となってしまったとこのと。アバルトヘイトが撤廃され、初の黒人大統領が選任された後も、彼らの暮らしにはまだまだ多くの問題が残されたままになっているようです。いったいどこに原因があったのでしょうか。『ショック・ドクトリン』〈上〉 (ナオミクライン著)には次のように書かれていました。

 長年にわたる反アパルトヘイト闘争の活動家ラスール・スナイマンは、こう言い切る。「彼らはわれわれを自由にはしなかった。首の周りから鎖を外しただけで、今度はその鎖を足に巻いたのです」。南アの著名な人権活動家ヤスミン・スーカは、私にこう話した。「(政権移譲は)「名前の上でおまえたち(ANC)が統治者だが、われわれは何ひとつ手放さない」というとりひきだった。(中略)「おまえたちには政治的権力を持たせてやるし、見かけ上の統治をさせてやるが、本当の統治はどこか別の場所で行われる」ということだったのです」。いわゆる移行期にある国にはよく見られることだが、ANC政権は”子ども扱い”された━家の鍵は渡されたものの、金庫を開ける数字の組み合わせは教えてもらえなかったのである。

 政権の移行時にいくつの間違いがあったのかもしれません。でも希望はあります。歴史は前へ前へと進んでいます。過去を学び、誤りを反省し、未来に繋いでいかなければなりません。そして、日本もアフリカから学べることが多々あります。政治を政治家に任せきりにせず、経済を経済人に任せきりにせず、何が起こっているのか、何が起ころうとしているのか、常に厳しい目で見つめ続ける必要があるに違いありません。

51QWRSPmPtL._AA160_ショック・ドクトリン〈上〉

 
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