22年の経験ファイナンシャル・アナリスト – ハーミー先生(横田基地) ETCマンツーマン英会話
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Q お生まれはどちらですか?
生まれはフィリピンです。フィリピンの北部で育ちました。両親は農業を営んでいますが、父は弁護士でもありました。生まれ育った環境はとてもよく、常に教育に重きを置いていました。
フィリピンは大戦後アメリカの統治下にありましたので、学校教育もアメリカの制度です。とても小さい頃から英語を学ばなければなりません。幼稚園では既に英語を話しています。ただし、私達はアメリカ人のように英語で育ったわけではありませんので、英語の構造・仕組みを理解する必要があります。英語を理解するために、同じ意味を持つ複数の異なった語句を覚えなければなければなりません。たいへんですが、とても価値のあることでもあります。驚くかもしれませんが、私たちフィリピン人のほうがアメリカ人より英語が上手いこともあるのです。
Q どのような高校に進学されたのですか?
カトリックの神学校に進学しました。司祭になるつもりでした。しかし、4年後、父が亡くなり、母が再婚したため、私は経済的に自立する必要がありました。私はこう思ったのです。「司祭になりたいわけではない。大学に進みたい。そしてエンジニアになりたいのだ。」 そこで、フィリピン北部にある大学に進み土木建築について学びました。司祭からエンジニアへと私の人生は転換したのです。しかし、また面白いことがおこります。陸軍士官学校に合格したのです。奨学生でしたので、授業料を家族に頼らず、自分自信で払うことができたのです。
Q 現在のファイナンシャル・アナリストになるのにはどのようなきっかけがあったのでしょう?
1980年に空軍に配属されました。最初の6年間は物流部門にいましたが、上司が財務関連に対する私の能力に気が付き、私にファイナンシャル・マネジャーになるよう命じたのです。これが私のファイナンシャル・キャリアの始まりです。その後、私は所属部門の予算管理の責務を負うことになりました。
Q 民間企業でファイナンシャル・マネジャーをされていた経験もあり、社内教育も担当されていたそうですね。
GEメディカルシステムに努めていた時は、専門家、エンジニア、そして財務部門のスタッフと仕事をしていました。彼らは、アメリカ人の仕事の進め方を理解し、アメリカ人や他の国々の担当者に自分達の考えを伝える方法を理解したいと思っていました。GEは世界各国に支社があり、また本社は米国ミネソタ州にあったため、毎夜彼らは各国の担当者と投資案件や技術的な事柄について話しをしなければなりませんでした。そこで、私は彼らに状況を説明させ、その状況をさらに発展させてロールプレイのようなことを行っていました。ロールプレーは連日異なる内容のものになりました。常にビジネスや技術的なことが絡んでいましたが、私自身エンジニアでしたので対応することができたのです。
Q 最初のレッスンはどのように行いますか?
先ず最初に生徒さんのレベルをチェックします。もし、あなたが日本の技術者であっても、英会話力が初級レベルであれば、初級レベルの方にあったレッスンを行います。もし、いきなり上級レベルのレッスンから初めてしまうと、生徒さんは肝心な部分が抜け落ちたままの状態になってしまいます。先ず私は生徒さんのレベルを見極め、その後レベルアップさせてゆきます。
Q: 実践で使える英語力をつけるためにアドバイスをいただけますか
英語が本来の母国語ではない私が、今日のように英語が話せる様になった経験を振り返ってみると、皆さんが英語を上達させるためには、日常生活で使える語彙を蓄積して行く必要があります。とても簡単な単語からより難しい単語まで。まだ語彙の蓄積ができていない段階で、いきなり難しい単語から始めてはいけません。
レッスンでも毎日たくさんの言葉を学ぶように生徒さんに薦めています。例えば単語を10個選び、次回までにその単語を使って作文をしてもらいます。次のレッスンはその10の単語と10の文章を題材にして、実用方法に関する事柄をたくさん学びます。単語を知っていても、実際の場面での使い方が分からなければ役に立たないからです。
Q:レッスンを行う際に大切にしていることを教えてください。
レッスンに限らず、私が大切にしていることは、聞き手が理解できる言葉を話さなければならないということです。常に難しい言葉ばかりで話していてはいけません。小難しい言葉が良い言葉とは限りません。もし聞き手が理解できなければ良い言葉であるはずがないからです。大切なのは生徒さんが理解出来る様に彼らのレベルに合わせることなのです。