映画『Bonnie and Clyde』(俺たちに明日はない)でアメリカ・テキサス英語マンツーマンレッスン
ボニーとクライドが出会い惹かれあい、仲間と共に銀行強盗そして殺人を重ね、最期は闘争中にテキサスレンジャー等に150発を越える銃弾を受け射殺されるという実話に基づくストーリーです。
クライド・バロウはテキサス州ダラス近郊のテリコ出身。1929年の株価の大暴落によりアメリカの経済は完全に崩壊ししていました。その4年後の1933年から1934年にかけて、クライドは仲間たちと共に数々の強盗と、少なくとも14名の殺人を犯したと言われいます。いったい何が彼をそのような犯罪の世界に追い込んでいったのでしょうか。
彼が最初に犯した犯罪は七面鳥泥棒でした。しかし、そのような窃盗犯には刑が重過ぎる Eastham Prison Farm(イーサム刑務農場)という、当時米国で最悪と言われた刑務所に収監されます。看守の数が十分でないことなどから、刑務所の中は荒れ放題、制御の効かない無法地帯となっており、その環境を苦にして囚人の自殺者が後を絶たず、看守に射殺される為にわざと脱獄を試みる者もいたとのこと。継続的に性的暴行を受けていたクライドは、ここで最初の殺人を犯したのではと言われています。彼は刑務所から抜け出すために、自ら両端のつま先を斧で切り落としわざと病院送りとなり、その後釈放されています。映画でクライドはボニーの欲求に応えられない性的不能として描かれていますが、この刑務所での体験が原因なのではと思います。
「二度とあの刑務所には戻れない、戻りたくない」という彼の強迫観念が、その後の約2年間続く逃走劇に結びついていったのだとも言われています。
ボニー・パーカーは、 テキサス州ローウェナ出身、ダラス近郊のセメントシティーで育ちます。セメントシティーは当時アメリカで最悪のスラム街と言われていました。子どもの頃、彼女は歌手、ブロードウェイの女優、そして詩人になりたいと、何度となく周りの友人に話をしていました。
映画の中で、ボニーが実際に作詞した詩”The Trail’s End”(後半部分は映画用に改変されているようです)を、ボニーを演じるフェイ・ダナウエイが朗読するシーンがあります。南部アメリカ英語を意識して、Southern drawlという母音を引き伸ばす発音を強調して、韻を踏みながら朗読しているの特徴的です。Clydeが「クラーィド」、diedが「ダーィド」、deadが「デェード」のように。Southern drawlの響きが心地よく、美しくさえ感じます。
“The Story of Bonnie and Clyde“
You’ve heard the story of Jesse James
of how he lived and died.
If you’re still in need of something to read
Here’s the story of Bonnie and Clyde.
Now Bonnie and Clyde are the Barrow Gang
I’m sure you all have read
how they rob and steal
and those who squeal
are usually found dying or dead.
(後略)
ボニーとクライド
ジェシー・ジェイムスの最期を語る物語
それに続いて今ここに
ボニーとクライドの物語
ボニーとクライドバロー・ギャング
広く知られた その罪の話
裏切り者は皆殺し
残忍と人は言う
二人の写真と共にこの詩が新聞で公開されると、彼らの度重なる犯罪にも関わらず、二人は米国中の人気者となります。こんなにも人を惹きつける詩を書ける才能があるのであれば、もっと別の人生を送れたのではと思ったりします。彼らの人生のどの瞬間で、何がどう変わっていたらよかったでしょうか。
この映画の邦題は『俺たちには明日はない』。警察の追跡から上手く逃れていても、もう将来には希望を見出すことができなくなってしまった二人の生き方を表現したタイトルです。明日の自分を信じることができていたら、二人は人生は変わっていたのかもしれません。
映画『Bonnie and Clyde』trailer
(※)参考
Real Story Of Bonnie and Clyde