南ア・ラグビー代表初の黒人キャプテン、シヤ・コリシ選手の言葉
(あなたの過去はあなたの未来を決定しない)
貧しい環境に生れ育ったからと言って、そのことが自分の将来を決定づけるものではない。これは南アフリカ共和国代表ラグビーチームのキャプテン、シヤ・コリシ(Siya Kolisi)さんの言葉です。同国初の黒人のキャプテンとしても注目されています。
※From humble beginnings
コシリさんの生まれは南アフリカの南部ポート・エリザベスの郊外にある非白人居住地域(township)のズウィデ(Zwide)。子ども時代をとても貧しい環境の中で過ごしたといいます。
コリシさんは12歳の時にスカウトの目に留まり、奨学金を得て名門校グレイ(Grey)中学に入学。その後グレイ高校へと進んで行きます。当時の彼はコサ語(Xhosa、南アフリカ共和国の公用語の1つ。ズールー語に次ぎ2番目に多く用いられる土着言語)しか話せなかったようで、英語でのコミュニケーションはほとんど出来なかったそうです。
また、貧しい家庭環境からラグビーショーツさえ持っておらず、シルクのボクサーパンツでプレーしていたそうです。
コリシさんはかつてインタビューで、「あなたのスーパーヒーローは誰か?」と問われて、グレー中学時代からの白人の友人、ニコラス・ミチェル・ホルトン(Nicholas Mitchell Holton)さんの名前を上げています。
We’ve been through a lot together since we’ve been 12-years-old. There’s a lot that he has taught me. Obviously learning how to speak English because I went to Gray (College) and I couldn’t speak English and he was one of my best mate and helped me with my own homework every single day
(私たちは12歳の時から、多くの時間を共に過ごしました。彼は私にたくさんのことを教えてくれました。言うまでもなく英語の話し方からです。 私はグレイ学校に通いましたが、英語が話せませんでした。彼は最高の友人の一人で、毎日私の宿題を手伝ってくれました)
※The Hero Behind Siya Kolisi
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ネルソン・マンデラが南ア初の黒人の大統領に就任した1994年当時、ラグビーは白人に人気のスポーツで、アパルトヘイト(Apartheid/人種隔離政策)の象徴ともされていました。アパルトヘイトの下では黒人がスポーツの代表チームの選手に選ばれることも、法律で禁じられていたそうです。
1995年のラグビーワールドカップ南アフリカ大会で、南アは優勝を果たします。しかし、当時の代表チームに白人以外の選手は、チェスター・ウィリアムズ(Chester Williams)さんたった一人でした。
1994年にアパルトヘイトが廃止されれた後、南アは黒人経済力強化政策(Broad-Based Black Economic Empowerment:B-BBEE)を制定。 企業や諸団体の「所有権」や「経営支配」に対する「黒人所有比率」を、スコアをつけてランク付けし、黒人の経済活動への参画を推し進めようとしました。
※南アフリカにおける黒人経済強化政策(B-BBEE)の概要について
他方、ラグビーやクリケットなど、白人選手の比率が高い南アのナショナルチームでは、人種の割り当て比率(ethnic quotas)を変革していこうとの取り組み(transformation)が、南ア政府によって進められています。
現在日本で行われているワールドカップ大会では、南ア・チームは代表メンバーの半分を黒人にするということが、取り決められているとのことです。
※SA’s sporting racial quotas challenged in court
昨年の12月、シヤ・コリシは来日時のインタビューの中で、この人種の割り当ての変更方針について発言。これが自国を中心にたいへん話題になっているそうです。
If you’re going to talk about transformation, you’ve gotta start there (in the township).
(もし変革について話すのであれば、まずは黒人居住区から始めるべきです)
Imagine if I don’t go to the English school, I wouldn’t have been eating properly. I wouldn’t have grown properly.
(想像してみてください。もし私が英語学校(白人が中心の学校)に行かなければ、十分な食事をとることもできなかった。満足な成長もすることができなかったかもしれない)
And I wouldn’t have had the preparation like the other boys did.
(他の少年達と同等な準備ができなかったかもしれないのです)
Because when I went to the English school, I had to be compete against boys who have been eating six meals a day each and every single day of their lives. And it’s tough.
(私が英語学校に通っていたとき、一日の六度の食事を毎日欠かさず取っている少年達と、競争しなければなりませんでした。それはとてもきついことでした)
※Siya Kolisi catches heat on Twitter for transformation comments
※Siya Kolisi Interview with Kyodo News
人種の割り当て比率によって、黒人が代表に選ばれたとしても、試合で活躍すための実力が備わっていなければ、その選手は一試合だけ出場して、その後は一切姿を見ることはなくなるだろう。
人種の割り当て比率を変える以前に、黒人居住区で暮らす貧しい子供達にも、公平な教育の機会が与えられ、その実力を培うための十分な準備ができるような変革が進められるべきだと、コリシさんは訴えました。
コリシさん自身は地元のラグビー・チーム、アフリカン・ボンバーの支援も行っており、シューズやユニフォームの提供などを行っているそうです。
アパルトヘイトが廃止されてから四半生期が経ちました。人種の差別なく、平等な機会がもたらされる社会を目指し、南アは変革を続けているように見えます。他方、その道のりは決して平坦ではなく、この先も様々な困難を乗り越えてゆく必要があるのでしょう。
コシリさんのフィールドを駆け抜ける姿やその言動を通して、日本で暮らす私たちも、人権、教育、貧困、差別など、自国の姿をあらためて見つなおす機会にしてみてはいかがでしょうか。