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「言葉で表せないものに声を」
ノーベル文学賞ヨン・フォッセ
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The Nobel Prize in Literature for 2023 is awarded to the Norwegian author Jon Fosse,
“for his innovative plays and prose which give voice to the unsayable”.
2023年のノーベル文学賞は、ノルウェーの作家ヨン・フォッセに贈られる。
「その革新的な戯曲と散文で、言葉にできないものに声を与えた」
The Nobel Prize, Press release
[語注]
award ~ for ~
~を称えて〔賞などを〕与える[授与する]
innovative
〔アイデア・手法などが従来のものとは異なり〕革新的な、創造力に富む
play
戯曲、脚本
prose
散文
unsayable
言葉で言い表せないこと
戯曲作家・詩人であるヨン・フォッセは、1959年にノルウェー西海岸のハウゲスン( Haugesund)で生れました。
詩、童話、小説、戯曲と作品は多岐に渡ります。
戯曲だけでも40篇を超え、世界の50か国以上の言語に翻訳されています。
作品上演が最も多いのはフランス語圏(フランス、ベルギー、スイス)とドイツ語圏(ドイツ、オーストリア、スイス)。
日本では『だれか、来る』『名前』『眠れ、よい子よ』『ある夏の一日』、『死のヴァリエーション』、『スザンナ』等の戯曲が上演されています。
2007年に『死のヴァリエーション』(アントワーヌ・コーベ演出・照明)に出演した長塚京三氏は、今回の受賞に際して、談話を寄せています。
「台本は非常にユニークだと思いました。
生活臭がなくてまるで詩のよう。
登場人物は固有名詞を持たず、時代や国も分からない」「作品は、水墨画のようにささっとした筆致で描かれ、北欧特有のカチーンと研ぎ澄まされた空気感が加わっているのが魅力でした」
※長塚京三さん「日本上演増えて」 ノーベル賞ヨン・フォッセ氏を語る
(朝日新聞、2023年10月5日)
作品は全てニューノルシュク(nynorsk、新ノルウェー語)という言語で書かれています。
ノルウェーには、大きく分けて二つの言語があります。
一つは、首都オスロ―を中心とした地域で使われるボークモール(bokmål)。
これは一般言語で、学校でもこの言語が使われています。
もうひとつがニューノルシュクで、フォッセ氏が現在住んでいるベルゲン(Bergen)を中心とする西海岸で使われる書き言葉です。
19世紀中ごろにイーヴァル・オーセン(Ivar Aasen)という言語学者が、西海岸地域にたくさんある各種方言を集め、それらを古いノルウェー語と合わせて作り上げました。
当時のノルウェーは400年を超えるデンマークの支配から政治的に独立したばかり。
文化的にもデンマークから独立しようとする運動が活発な時期でした。
ニューノルシュクは、デンマークの影響が強いノルウェー語を排して、古来からあるノルウェー独自の言語を復活させようとする動きの中から生まれた言葉です。
フォッセ氏がニューノルシュクで作品を書く理由は、この言語が彼の地方の言語であり、ローカル性のベースになっているから。
田舎臭い響きのあるニューノルシュクは、フォッセ氏の素朴さや飾らない人柄によく合っている、と評されることもあります。
フォッセ氏が7歳の時、作家の道を進み始めるきっかけとなる出来事がありました。
「それは、僕が7歳の時のことだった。
母に、地下室からジュースのビンを取って来るようにと言われてね。
地下室へは、家から一度外に出て、そこから階段を下りるようになっていた。
寒い冬の日で、地面は氷で凍てついていてね。
ジュースのビンをもった僕は、足を滑らせて転んでしまった。
弾みにビンが割れ、破片で手の動脈を切ってしまったんだ。
(中略)体を動かそうとしても、動かない。
なかなか戻らぬ僕を心配した母が来た時には、大量出血のため意識朦朧となっていた。
即クルマで病院に運ばれたんだが、道中意識ははっきりせず、ただ家や道路が不思議な光のなかで次第に遠くなって行く。
それをみている自分があった」
『北欧の舞台芸術』(「ヨン・フォッセ」篇 河合純枝 著)より
フォッセ氏は朦朧とした意識のなかで初めて、言葉では説明できない「何か」を見ました。
自分を外部から見ているもうひとりの自分がいました。
死がすぐ傍にありました。
この距離感、自分を外部からみる目線。
これは作家の根本的要素だと、フォッセ氏は振り返り、この時から自分は作家なんだと思うようになりました。
フォッセ氏の作風は、必要のない情報を削り取った詩的な文章が特徴です。
また、何度も繰り返されるフレーズが、頻繁に登場する「間」と合わさり、音楽のような特殊なリズムを刻んでいます。
その内容は、神秘的で、この世とあの世の空間などが登場し、日本の能にも通じると言われることもあります。
ノーベル賞受賞直後のインタビューで、フォッセ氏の作品を初めて読む人へのお薦めを聞かれ、彼は次のように答えています。
I think one of my favorite novels is “Morning and Night”. it’s translated into Swedish and English and many other languages. So it’s rather short. So I guess I would suggest that.
僕の好きな小説のひとつは『朝と夕』だと思う。
スウェーデン語や英語、その他多くの言語に翻訳されている。
わりと短いので、おすすめかな。
※First reactions | Jon Fosse, Nobel Prize in Literature 2023 | Telephone interview
[語注]
rather
多少、少々、わりに、まあまあ◆veryの控えめな表現
suggest
〔人に適切な物や人を〕推薦する
『朝と夕』(英題 “Morning and Night”、原題”Morgon og kveld”)には、ヨハネスという人の一生が描かれています。
第一部がヨハネスという子どもが生まれる日の物語。
そして、第2部はヨハネスという老人が死ぬ日の話です。
ヨハネスはもう亡くなっていますが、本人は気づかずに目を覚まします。
ベッドから起き上がり、服を着て、台所でコーヒーを飲み、たばこに火をつけますが、味がしません。
「おかしいな。でも身体が楽だな」と感じます。
友人と釣りに出かけ、釣り針を海に投げますが海面に浮いたまま。
友人から「海は君をもう受け入れてくれないね」と言われます。
この第2部では、ヨハネスはもうこの世にいない、と読者が徐々に分かるようなヒントを、誌的に面白く表現しています。
年内に初の日本語の翻訳本が出版される予定とのこと。
今から待ち遠しいですが、それまではETC英会話の先生と一緒に、英語版でフォッセ氏の作品を味わってみてはいかがでしょうか。
(*)参照資料等
※The Nobel Prize, Press release
※First reactions | Jon Fosse, Nobel Prize in Literature 2023 | Telephone interview
下記は長塚京三氏が出演した舞台「死のバリエーション」のレビューです。
作品の内容についても、詳しく解説されており、フォッセ氏の戯曲の特徴を知る上でも興味深いです)
※ 夢幻能の世界観も感じさせる戯曲 時間、空間の交錯を具象化する演出
(今井克佳(東洋学園大学准教授)、2007年7月15日)
※長塚京三さん「日本上演増えて」 ノーベル賞ヨン・フォッセ氏を語る
(朝日新聞、2023年10月5日)
※「Death Variations」(『死のヴァリエーション』英文訳、抜粋と思われます)
※「Dødsvariasjonar」(上記のノルウェー語版)
※Nobel prize winner Jon Fosse: ‘It took years before I dared to write again
※産経新聞本紙、11月1日