映画『A World Apart』(ワールド・アパート)でアフリカ英語

movie_36721 Ruth First(ルース・ファースト/映画の中ではDiana Rothという役名)は、1925年に南アフリカ、ヨハネスブルグの生まれ。反アパルトヘイト活動家。1982年、亡命中のモザンビークで彼女宛に送られた小包爆弾で暗殺死亡。南アフリカ警察の少佐、クレイグ ウィリアムソン(Craig Williamson)の命令によって行われました。

 ルースの両親はラトヴィアからのユダヤ難民として南アに移住します。両親は南アフリカの共産党員。彼女自身も同党員となります。同党は南ア政府と抗争を続けるANCと同盟を結んでいました。

 大学卒業後、ヨハネスブルグ市議会の社会福祉部の調査員助手を経て、ガーディアン新聞社の主席編集者となります。彼女の反アパルトヘイトの活動は、報道のみにとどまらず、政治活動を通しても行われました。
 1960年のシャープビルの虐殺の後、政府の非常事態宣言により、彼女の活動は大幅に制限されます。映画『A World Apart』は、その3年後の1963年、ルースの夫Joe Slovoが、反アバルトヘイトの活動の拠点を求めて国外に旅立つシーンから始まります。南アの残り活動を行っていたルースは、起訴することなしに拘留できる「90日間拘禁法」で117日間独房に監禁。彼女はこの法律によって監禁された最初の白人女性だったそうです。

 彼女の活動仲間の情報を得るために、警察の執拗な取調べは続きます。警察は、テロによって亡くなった白人の写真を彼女に突きつけ、彼女たちの活動の残酷さを訴え、仲間の情報提供を求めます。

 

This has nothing to do with us. What do you want me to say?
私たちには関係ないわ。何を言えと?

How did you feel if this was your family, your husband, your children. This is what your people do, you murderous.
これが家族ならどうだ。お前の夫や子供だったら。お前らがやっている事だ、人殺し!

A murderer seems to talk about murderers. Why don’t you show me the pictures of 69 people you murdered at Sharpeville.
人殺しはそっちでしょ。シャープビルで殺した69人の写真は?

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 まさに負の連鎖。暴力が暴力を生み、そこから抜け出す術を見出すことさえ、人々は諦めているようにも思えます。人間が人間を最初に殺したのは、いつで、どんな理由からだったのか。人類の最初の殺人から連綿と繋がる血で血を洗う歴史にも思えてしまいます。

 ルース・ファーストの三女Robyn Slovo(映画の中ではJude Roth)と長女のShawn Slovo(ショーン・スロヴォ/映画の中ではMolly Roth)は、映画『Catch a fire』の解説で、次のように語っています。

Robyn Slovoの解説
Ruth had been living in Mozambique since 1976. 
And although she had always a member of the ANC, she was an academic, mostly.
I mean, she was a great anti-apartheid activist, but she was a journalist, she was a writer, she was an editor, she ran newspapers in South Africa, and in exile, she pretty much continued doing the same thing.
She was working in Mozambique in Maputo at the University of Eduardo Mondlane, and on the 17th of August, 1982, the special branch from South Africa sent a parcel bomb to her office, a parcel with her name on it. 
And she when she opened that parcel, the room of her office was blown out, and she was instantly killed. 
母は1976年からモザンビークに住んでいた。
ANC党員ではあったけど学者肌だったわ。
熱心な活動家ではあっても、本業は記者で新聞も出していた。
国外でも同じ仕事をしていたいわ。
母はマプトにあるモンドラネ大学で働いていた。
1982年8月17日、南アフリカの公安部が母に小筒爆弾を送りつけた。
小包を開けるとたちまち爆発し母は即死した。

Shawn Slovoの解説
Archbishop Tutu’s Truth and Reconciliation in one of the most extraordinary things about post-apartheid South Africa, because it did exactly what it was supposed to do,  which was to enable people to confront the past on both sides.
We sat in a room with three judges, black, white and colored.
We sat facing the man who had ordered the bomb that killed our mother to be sent to her.
And we sat facing the man who had made the bomb that killed our mother.
And we spent 10 days in the court, while there man explained the context of why this bomb had been sent.
Our particular oppressors were given amnesty.
But all I knew at the end of this was that, “There are our mother’s killers and they are free.”
That’s what I felt.
ツツ大司教の真実和解委員会はすばらしい効果をもたらしたわ。
この委員会はなすべきことをやり遂げた。
黒人と白人に過去を直視させたの。
黒人、白人、カラードの3人の裁判官と共に、私たちは敵と向き合って座った。
母の爆殺を命令した男と、母の命を奪った爆弾を作った男だった。
裁判所で10日を過ごし、2人が爆弾を送ったいきさつの弁明を聞いた。
この2人には恩赦が与えられた。
裁判の終わりにはこう思ったわ。
“母を殺した男たちは放免されたんだ”と。

 DVD『Catch a fire』の音声解説より

 暴力は暴力によって解決することはできない。暴力はさらなる暴力を生み、終わることのない復習の連鎖を生む。これを終わらせるには敵を許すしかない。これが、人々が南アフリカの歴史から学んだ教訓の一つなのかもしれません。だから、いかなる理由があっても暴力に訴えてはいけません。にもかかわらず、暴力は絶えないのはなぜなのでしょう。それは、非暴力で物事を解決するための知恵が、足りないからなのかもしれません。




 
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